@会津戦争の頃の話。 その頃、大鳥さんが率いた隊はあまり力を振るえなかったらしいんですよ。 ええ、大鳥さんが率いていたからです。笑 そこで、旧幕府軍の中の大鳥さんへの非難の声は高まっていきます。 あーあ、かわいそうな鳥。 ところで、近藤さんと袂を分かった永倉さんは「靖兵隊」を立ち上げておりまして。 土方さんらとは別行動でありながらも、共に新政府軍と戦っていたんですね。 永倉さんが著書『新撰組顛末記』のなかで書いたことを紹介します。 あるとき、激戦がありまして、しばらくしてから大鳥総督が居ないことに気がつきました。 総督がいないんじゃたまらねぇってコトで皆で総督探しを行いますが、どこを探しても見つかりません。 きっと戦死してしまったんだろうと思っていると、次の日になってすまして山から総督登場。 きっとへらへらしてたんでしょうね…。 幕兵は怒って 「総督ともあろう者がけしからぬ、射ってしまえ!」 と騒ぎましたそうです。 大鳥さん…ぷぷぷ。ウケるよあんた! 射るって。。。ねぇ まぁそんなわけでさすがの大鳥さんも色をなくして逃げたそうです。 Aしかしながら、大鳥さんの死亡説は上のコレだけじゃないんですよ。 彼の日記「南柯紀行」で自分で書いてます笑。 時期が違うから別の一件なのでしょうが…また状況がそっくりで。 この一件とは違うのかなぁ〜;; で、彼の日記からすると、永倉さんの話とは180度話が違います。 激戦で皆とはぐれた(?)大鳥さんは、翌日ひょっこりと姿を現します。 皆は食事をしていて、大鳥さんの姿をみてたいそう驚きます。 どうやら「大鳥総督は石筵山で戦死したと言う事が言い触らされていた」らしいんです。 兵士達は、「士官、兵士も皆力を落として当惑していたが、はからずも君の顔を見て夢の心地がする」と言うんですよ。 みな喜んで、大鳥さんが死を逃れた事を祝い、大鳥さんも皆の無事を見て手を握って感泣した、らしい… なんだこの感動話…笑。 しかも自分で書いてるとこが怪しい;; これ、8月の母成峠の話。 永倉さんのは5月の鍋島の戦い。 大鳥さん、3ヶ月で2回も死亡説でてるよ??笑 しかも展開があまりに違う… 私は、永倉さんが書いたのが晩年だから、月を間違えていて、これ同じエピソードなんじゃないかなぁ、と思うんですが… 本当はどうなんでしょうか?? <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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