伊庭想太郎VS荒井鎌吉


舊幕府という明治時代に発行されていた雑誌。

この中の、明治23年の記事に面白いものがあります。
9月30日、伊庭八郎の弟の伊庭想太郎と、荒井鎌吉(鳥八十の料理人で、伊庭さんと仲良くなって函館戦争まで一緒に着いて行っちゃった人)が上野東照宮に呼ばれて、史談会をするんですね。

もう、何だコレってくらい面白いです。
私のコメントばっかりでウザイことこの上ないかも知れませんが(アセ)、ちょっとご覧になってみてください。

殆どの部分をそのままのせましたが、最初のほうすっごい微妙にですが省いてます。ご了承くださいね!では!





(伊庭想太郎)
兄(八郎)のことを申し上げましょうかと存じましたが、何分少年の時でしたので、事実の誤りを申し上げるのも好ましくなく、且つ八郎は大人物というわけでもなく、歴史に美事を残したと申すほどのこともなく話をしろとの事でしたが、兄の脱走後のことは存じませず、この席にお出での町野さんのほうがよくご存知です。


【まずはちょっと謙遜してみる。
よーく、この辺の文章覚えておいて先に進んでください。 】



兄の詳細な伝記などは、中根淑君にお願いして正確な伝記を後日ご覧に入れようと存じます。


【詳細なる伝記って、アレですか??征西日記ですかい?

あの、食べて遊んで迷子になってを繰り返してた!あの、カメハメハ生活のアレですか??爆笑】



そこで今日ここへ一緒に参りましたのは、荒井鎌吉と申す兄の供でありました者です。

兄の弟子も沢山ございましたが、兄の終わりまで従っておりましたのはこの鎌吉さんだけです。

荒井は元来鳥十八と申す料理店の男でしたが、兄が同店へ呑みに参りました時から親しくなり、ついに撃剣家となりました。


【鎌吉登場。親しい感じですね、さん付けだなんて。
さすが八郎、グルメだけあって(?)焼き鳥屋の料理人と一緒に函館まで行っちゃうわけです。】



兄の脱走の時分に多くの弟子は散乱しましたが、鎌吉のみは終始離れずに従い、兄の八郎も何故か大層に信用致しまして、何事もこの人には打ち明けて話しました。


【何故かとか言うな!!!本人の前なのに!!

悔しかったの?ねぇ、嫉妬!?】

箱根の役にも一緒に参り、上総下総辺りも回り、ついに甲斐の黒駒へ参りました。

これらの話は本人が申し上げましょう。


【そうだね、そのために呼んだんだもんね。前置き長いなー】

(荒井鎌吉)
伊豆下田より上陸いたしまして、甲斐の黒駒へ参ろうと存じ、八郎様にお目にかかり、弟子なり家来なりして終始おそばに居りました。

この時軍勢は300人もありました。

水野出羽守の人数が居ると申すことで、一同沼津へ帰りました。四、五日ここで滞在し、海上について東京へ戻りました。

元込め銃を買うためでした。

その中に沼津に居られた伊庭先生が箱根へ来ることとなり、小田原の大久保が味方となる、金を五千円出す、林が大将で先生が(八郎氏)参謀になったと申す評判で御座いまする故に、東京から戻りますときは非人同様の姿となり、やっと小田原へ帰り沼津へ参りましたが、暫くは少しも様子が知れませんでした。


【え!?えっ!?
伊庭は先生なのに林は呼び捨て!!?爆笑

鎌吉、非人って…必死だね。会いたいんだよね。わかるわーその気持ち。←何様?】



その中にまたもや大総督から小田原が責められて、又々小田原が官軍となりヒックリ返って脱走軍を攻めることとなりました。

ここ静岡からも士族が30人ばかりも参りました。

箱根の上り口へ大砲一門を備えましたが、敵は左右の山からも撃ち出しました故に、五、六十人の兵を遣って追い払い八郎さんのまわりには兵は少しばかりでした。


【さっきから、出てくるたびに八郎さんの呼び方違うんだけど。
ずっと八郎様でいいじゃん。】



私は海上さんと二十人ばかりの兵を連れて追い払いに行きましたら、皆逃げてしまいました。

この日の戦争は朝の10時頃より始まり、火を燈す頃までかかりました。日の暮れ方からして四方の山より的の撃つことが激しくなり、先生は腰を撃たれ尻餅をつかれましたがその時ニ、三人を斬り倒されました。


【うわー、格好いいよ伊庭!!尻餅ついても2、3人斬るだなんて;;つよーい。
鎌吉、誇らしげ。】

手を斬られたのは三枚橋の上でした。

戸板を乗せて引き揚げましたが、敵が下から激しく撃ちかけます故に、湯本の宿の両側へ火を附けて逃げ上り、夜の十二時頃に峠へ着きました。

その晩は畑の宿へゆき、林さんのお医者が先生の腕首のブラブラして居るのを切り落として血を止め、縛りつけなどしました。

【あ、林さんになってる。笑。
伊庭センセが世話になったから??
三枚橋でか〜;;痛そう><】



それから兵隊は長崎丸で品川沖へ戻り、八郎さんは熱海から猟船で品川沖の病院船の旭丸へ帰られました。

(想太郎)
榎本さんが常に兄のことを話出されますると兄さんに一番感服するのは勇気の盛んなることでした。



【想太郎、耐えられなくて割り込み開始!!!笑。
愛が暴走してます。兄ではなく「兄さん」になってるしーーーー。】



箱根から落ちて来られた時にも、船から上がる時に腕を押さえて真っ青の顔で「ヤリソク、ナイマシタ」と言いながら、少しも屈せず上陸されたのには驚いたと言われます。

(鎌吉)
先生はその後九月頃まで東京に居られて療治をされましたが、手疵は、旭丸で篠原というお医者が切り直し(町野氏始め当時の事を知る人は切り直した時の八郎氏の勇気には誰も感奮せざりしは無かりしと語った)ました。全癒して後再び三嘉保丸で函館へ参られました。


【…なんかもう、どっちが八郎さんのこと知ってるかの対決になってる…笑。
お互い、ライバル視してるって絶対。 

()内の話は、八郎さんが麻酔もないのに声一つ上げなかった、というエピソードに対してでしょうね。】




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