函館新政府を樹立した榎本さん達でしたが、お金がありませんでした。 戦いが激しくなる一方軍資金は無くなっていきます。 旧幕府軍は函館の市民から通行税や運上税をかけることで何とか持たせていました。 しかし貧乏は辛い! 榎本武揚は軍議にて金持ちの商家から金を徴収したり、もっと地元民から税をとろうと提案します。 参加していた皆も仕方の無いことだと賛成し… が!!!!! 男土方、異議アリ!!! 今までも税をとってただでさえ大変なのに、いつまでもつか分からない政府のためにこれ以上金を巻き上げるとは何事だ!! というような事を言って反対したんだそうです。 こうして徴収は中止、結局政府は大きな娼館や博打場からの税金で財政を立てました。 このことを知った(どうやって??)市民や商家の人々は土方さんに惚れこむわけですよ。 土方さんの死を悼んで、称名寺に供養碑を建てたんです。いい人たち。 称名寺の供養碑は残念ながら明治期の火事で現存しません。 現在ある新選組供養碑は昭和47年に建てられたもの。 <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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