頂き物小説

花街<雅様より>
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その女は、俺が江戸を発つ少し前、伊庭と一緒に吉原で遊んでいたときに出会った遊女だった。

俺は彼女が俺のことを慕っていたことには気づいていた。
だが、俺にしてみれば、彼女はたくさんいる遊び女の一人、彼女もまた俺のことを客人の一人としてしか見ていないだろうと思っていた。

それが仇となった。


「歳三さま、お願いがあるのです。」

ある日、その女は言った。
俺と伊庭は顔を見合わせた。


「なんだ?」

俺はいつもそうするように笑顔で問いかえす。


「実は、わたくしは数ヶ月前からある集団に脅されていて・・・・今日の戌の刻、この五つ先の路地裏に来るようにと・・・・」

「なんだって!?」

『遊び女』とは言っても、今のように適当に扱っていたのではない。
当時の俺はむしろその逆で全ての女を同じように愛した。

「金は用意いたしましたわ。でも・・・あの男たちに一人で会いに行くとなると怖くて怖くて・・・・お願いです、少し後ろからついてきてくださるだけで構わないのです。歳三さま・・・・・!」


そんな哀れな彼女の話を聞いてじっとしていられるはずがなかった。

「後ろから、なんてけちなこと言うな。俺がお前の隣について、そいつら叩きのめしてやる!」


「おい、歳さん・・・・」

伊庭はなにか引っかかるところがあるのか、珍しく真面目な顔で俺を引きとめた。


「なに、可愛い女の子の頼みだ。お前だったら、いくだろ?」

「・・・・・・・」

「絶対手出しすんじゃねぇぞ。」


俺は彼女に手を引かれて伊庭を振り返った。

今でも彼女についていったことは後悔していない。
だが、今の俺にはそんな優しい心は残っていないだろうと思う。





「・・・・・で、これがお前の答えってわけかい。」

吉原のはずれにある暗い路地裏。
逢魔時と呼ぶのにふさわしい、日が落ちる寸前の真っ赤な薄暗さの中に不気味な陰が延びている。
俺は、優艶に微笑んでいる女を見上げた。


手首には、縄。



「なるほどね、伊庭の忠告を聞いておくんだったな。」

「後悔しているかしら、歳三さま?・・・・・ほんと、馬鹿な男だわ。」

さっき俺に助けを求めていた口調とは打って変わって艶やかな、けれども悪意のこもった口調で女は言った。


「確かに、馬鹿な男だな。・・・・だが何を後悔するって?俺はな、自分のやったことに後悔はしないんだ。」

余裕のある応答が彼女の癇に障ったらしい、彼女は叫んだ。


「貴方のそこが馬鹿なのよ!あなた、私に騙されたのよ!?もっと悔しがりなさい!もっと悔しがって、わたくしのために泣きなさい!!」

「・・・・・・・・・・」

彼女は俺を平手で打つと、地面に叩きつけて、背中に蹴りを入れた。

(・・・・おいおい、これが愛する男にすることかよ・・・・。)

俺が咳き込みながら心の中でそう愚痴ると、それが相手にも伝わったのか、女はさらに強く俺の体を蹴り飛ばした。

「ごほっ、ごほごほっ」

(これは・・・・とんだ変態だな・・・・。)

そう思いながらもされるがままになっている俺も、傍から見たら相当な変態なのだろうか。



「もっと必死になってほしいのです。歳三さまはわたくしのために必死になってくださったことがない!」

「・・・・・・・・・・」

女は転がったままの俺の元へつかつかと歩み寄ってきた。

キン、という金属音が耳に入る。

彼女の手には、小刀が握られていた。


「わたくしのために泣いても下さらない。だったら、わたくしのために死んでいただきますわ・・・・本当にその女に恋ふることのできる男は、その女のためにその命を滅ぼすことさえできると言いますもの・・・・」


「おい・・・・お前、何を・・・・!?」


―――― 狂っている。


怒りに燃えていた女の目が急にとろんと虚ろになり、その目から涙が溢れた。

自分はこんなに相手のことを思っているのに、相手は自分を大勢の中の一人としてしか見ていない。
誰か、自分を命に代えるぐらいの力で想って欲しい。

彼女の声が聞こえた。

そう、彼女を狂わせてしまったのは誰かに愛されたいという強い気持ち。


「貴方が好きでした、歳三さま。だから貴方を、わたくしだけのモノにしとうございます・・・・・」


「それは、できねぇな。」

小刀の切っ先が俺の首筋に届く寸前、横に転がって、それを避ける。
相手は女で、振りには迷いもある。

もう一度握りなおした隙に、後ろ手で縛っていた縄を解く。
本当は、ほどこうと思えばいつでもほどけたのだ。


混乱して小刀を振り回す細い腕をつかむ。

「放して!」

「放したら刺されちまうだろうが。」


じたばたと暴れ回る彼女を造作もなく押さえつける。



「俺はどうしてお前に騙されたと思う?」

「・・・・・・・・・・」

女はじたばたするのをやめて、俺を見上げた。

「あんたが可愛いからだ。」

「・・・・・・・・・・嘘よ。」

その言葉に、少し驚いたようだった。

「嘘じゃあない。好きでもない女に騙されてこんなとこまで来ると思うか?」

「・・・・・・・・・・・」


「俺にはどうしても叶えたい夢がある。だからお前のために恋して、死んでやるわけにはいかねぇんだ。」

俺には夢がある。
もしそれがなかったら、どこかの女とそれこそ命懸けの恋に落ちても悪くはなかったかもしれない。

だが、一度叶えると決めたら、途中で寄り道をするわけにはいかない。
『本物の武士になる』・・・・・
そのために、俺は本気の恋も捨てる。


「すまないな・・・・・・」

だからお前だけのモノになることはできない。
けれど、お前が思っているよりは、お前は愛されている。



女は俺を見つめたまま静かに涙を流した。
瞳から、狂気が消える。


「・・・・・歳三さま、わたくし・・・・・っ!」

「帰れ、そして俺のことは忘れろ。俺はもうすぐこの町からいなくなる。・・・・あんたは可愛い。いつか俺と違って誠実な夫が来てくれるさ。」

俺はそれまで彼女が暴れないように押さえつけていた手を放すと、惚けたような女を優しく抱きしめた。

「いいえ・・・・忘れませんわ。歳三さまが夢を叶えて帰ってくるまでお待ちしますわ・・・・・・」

「そうか・・・・・」


女はにっこりと笑うと、夜の闇の向こうへと駆けていった。



「ご苦労さん♪」

「・・・・・!?」

いきなり頭上から聞こえた声に俺は驚いて振り返る。


「ぃよっと♪」

突然木の上から伊庭が飛び降りてきた。

「い、伊庭!?見てたのかよ!!」

「だって、歳さんってば、手出しするなっていったじゃん。」

「・・・・・・・」

だからって、黙って見てるか、普通?

「『お前のために恋して、死んでやるわけにはいかねぇんだ。』・・・かっこいいねぇ、歳さん!」

伊庭は俺の口調を真似していうと、ひゅう、と口笛を鳴らした。


「う、うるさいっ!総司や近藤さんなんかに言ったらぶっ飛ばすぞ!」

「あはは・・・こわいこわい。」

それでもこの後どういうわけか試衛館にこの噂が溢れかえったのは言うまでもない。



「でもさ、何でわざと騙されたりしたんだ?・・・・歳さんなら気づかないはずもないだろ?」

月明かりに照らされた道を、並んで歩く。
さっき蹴られた背中がずきずきと痛む。


「可愛かったからさ。あの娘が。」

「本当に?それだけ?」

「ああ。それだけだ。俺は可愛い女の子には騙される。」

「・・・・呆れた。」

「お前にだけは言われたくない!」

二人は顔を見合わせて笑った。



「けどさ、歳さん。あんた、武士になるにはちょっと優しすぎる。」

「・・・・・・・」

伊庭は真面目な顔をして、意外なことを言った。


「俺は優しくなんか・・・・・・・」

「気にしないでいいよ。オイラは歳さんのそういうところが好き♪さ、着いたよ。」


その話はそこで終わりだった。
試衛館は、もう目の前だったのである。


「歳!遅かったじゃないか!俺はもう心配で心配で・・・・・!・・・・どうしたんだ、その痣?」

近藤さんが泣きそうな顔で迎えに来る。

「ははは、ちょっと転んでな、心配ない。・・・泊まってけよ、伊庭。」

「いや、今日はいい。じゃあな、歳さん。今度は変な女に捕まるなよ♪」

「ふん。余計なお世話だ。」


伊庭は笑顔で手を振ると、下駄を鳴らして帰っていく。


「その優しさが、命取りにならなければいいけどな・・・・・」


冬の冴え渡る風の音の向こうに、そんな独り言が聞こえたのは、気のせいだったのだろうか。

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