土方本

■□その果てにあるものは□■
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__伊庭八郎、被弾。


<その果てにあるものは>


「伊庭っ!!」

いやに慌ただしい足音が廊下に響き、そしてまたシンと静まり返る。

切羽詰ったような、引きつった声が空間を支配して。

音の無かったそこに突如現れた騒音は、男を眠りから覚ました。


「歳…さん…」


土方の目にうつるもの。

聞こえるもの。

見たくなかった光景。

弱弱しい声。

それらを遮断するかのように、一瞬後真っ暗になる。



***


「お疲れのところ申し訳ないが、良くない知らせがあるんだ」

二股口での激戦で退却を余儀なくされ、土方は身も心もだいぶ憔悴していた。

勿論それを態度では示そうとしないが、そろそろ限界に近い。

そんな中で、榎本武揚はさらに土方を闇へと突き落とすかのようなことを口にした。


聞けば伊庭が撃たれたのはもう10日以上も前だという。

胸部を撃たれ、しかも弾を抜くことは適わず、もはや寝たまま死をまつ状態。

今生きていることすら奇跡に近いのだという。


すぐに土方は走った。

五稜郭の一室へ。

その間中ずっと、榎本の言葉が呪文のように反芻されて。


時々、近藤の顔が浮かんでは消えた。



***


立ち尽くしている土方をみて、伊庭は身体を起こそうと試みる。

それが叶わないのはわかっていても__。

少しでも動こうとすれば全身に痛みが走った。

思わず声が上がる。


その声に土方ははっとして伊庭の横たわるベッドへ駆け寄った。

「馬鹿!動くんじゃねぇ!!」

病人の寝ている部屋にしては些か大きすぎる声と足音。

伊庭は苦しいだろうに、いたずらを見つかった子供のような顔で笑って見せた。

「…へへ…しくじっちまったよ…」

かすれた声は、ここが病室でなければ届かないだろう。

少し前に会ったときとは別人のような響き…


__絶望を感じた。


「しゃべるな」と言おうとしたけれど、もう何も言えなかった。

俯いたまま、流れてくる涙をこらえようとしたが無駄で。

伊庭の布団をつかんだまま嗚咽を漏らす。

「歳さん…顔を…上げておくれよ。おいら見えねぇ…」

懸命に右手を動かそうとしている。

その手を、震える己の手で包み込んだ。

「…死ぬな」

伊庭…と繰り返す、祈るように、すがるように。

これがどれだけ自分勝手なことかは分かっていても、言わずにはいられなくて。

「死なねぇさ。約束…したろう?忘れ…ちまったのかえ…?」

諭すように、宥めるように答えが返ってくる、それは分かりきったこと。


どうしてどこまでも優しい男なのか。

無理にでも笑顔を作ってみせる、本当は痛くて辛くてたまらないだろうに。

それが痛々しくてならない。

その優しさに、土方は縋りつく。

一言「もう解放してくれ」と言われれば、もう十分だと言ってやろうと思いながら、彼がそう言わないことを知っている。

「死ぬな…」

そんな自分を呪ってやりたいと思った。



自室に戻ってから、誰も部屋に入れずにいた。

今日のことを何度も頭の中で繰り返しては泣きたくなった。


自分のために一生懸命に作ってくれた笑顔を、殆ど見ようとしなかった。

生きていることがどれだけ大変なのか知っているのに、生きてほしいと思った。

伊庭の苦しみの上に立って、甘えている自分。

一人の人間の離れていくのを恐れている、弱い自分。

少しだけ我慢すれば、どれだけ泣いたってかまわないのに。

でもそれが出来ない。

近藤のときと同じだ、結局何も変わってはいない。

失いたくない。それが全て。


何が軍神だ、と思った。

__ただの弱虫じゃねえか

机に叩き付けた拳は自分に向けたものかもしれない。



次の日、土方は再び伊庭の病室を訪れた。

そこには、伊庭と同じように横たわる春日と、その養子である田村がいた。

伊庭も春日も眠っていたが、田村は土方に気づくと軽く会釈した。

「伊庭隊長、普段はこうしてほとんど眠っておられるんです。」

田村が小声で話す。

伊庭は時々顔を歪め、苦しそうに呻った。

  春日もまた、再起不能の重体である。

田村は付き添って世話をしているが、どう考えているのだろう。

春日が死を望むなら、辛くともそれを受け入れるのだろうか。


聞こうと思ったが、それは出来なかった。

伊庭が目を覚ましたのだ。

「隊長!」

田村が水を持って伊庭のもとへ駆け寄る。

土方さんがお見えですよ、と耳元で言う。

「…歳さん!…来てくれたのかぇ…?悪いねぇ、寝ちまってて…」

「いや、俺も今来たとこ…だから」

どうも上手く伊庭を見ることが出来ない。

伊庭はさして気にするふうも無く、少し笑う。

伊庭には精一杯の笑顔で。


  田村に促されて、伊庭の隣へと移動する。

田村は土方に、春日が起きたら知らせてくれるよう頼むと部屋を出た。


「うれしいねえ…。起きたら見舞いに来てくれてるなんて…」

心底嬉しそうに話す伊庭。

声は相変わらず絞り出すような声、笑顔は小さかったがそれは十分に伝わった。

土方もつられて微笑する。


こんなに優しい彼を、自分のせいでこれ以上苦しめるわけにはいかないと、はっきり思った。

呼吸を落ち着かせて。


「伊庭…すまねえ…」

「え…」

「俺は、自分可愛さのために…お前を…苦しめてる。すまねえ…だから、もう…」

「…歳さん」

伊庭が右手を動かす。

土方はその手を握り締めた。

伊庭の手は暖かくて、そして驚くほどの力が込められていた。

「歳さんが…おいらのためを思ってくれてるのはわかってるよ。」

「だったら…」

「でも、おいらは死なない。」

じっとこちらを見つめてくるその瞳には、生きている者の力があって。

握り締めた手はいっそう強く。

「約束…あれは…おいらが決めたことだよ。歳さんより…先には逝かない。確かに…あんたのためではあるけど…あんたのせいじゃない。…それに…おいらのためでもある…んだよ」

「でも…」

「おいらは…歳さんを置いて逝きたくない。…それでも、おいらに死んでほしいかえ?」

ぶんぶん、と、歯を食いしばって首を振る土方を見て伊庭はまた微笑した。


自分の身体がもう持たないことは分かっているけれど…

「ありがとう」とつぶやく土方を見ながら

もう少しだけ、と祈るように願った。



***



それから6日。

伊庭の身体は確実に衰えていったが、生きていた。

奇跡のようだ、と医者は言ったそうだ。

苦しみの中で、誰かに声をかけられた。

土方だった。


「弁天台場が孤立した」と。

「新撰組を助けに行くんだ」と。


力強い声でそう言った。

その目には迷いも、後悔も無かった。

ただ、愛する新撰組のために。

やれるだけのことをやる、それだけだ。

伊庭は微笑した。


目と目が絡んで。

土方の口が動く。


「__行ってくる」


それはまさに、いくつもの修羅場を乗り越え、戦い抜いた男の顔だった。



***



__近藤さん、俺は…間違ってないよな


馬上で、ふとそんなことを思う。

土方は、引き止める仲間に、自分が生きていたら近藤さんに合わせる顔が無いと言った。

新撰組のために最期まで戦って、新撰組のために死にたかった。


__俺は、あんたより少しだけ長く生きちまったが…

__思ったより悪ぃことばっかりじゃなかった

__あんたも良く知ってる、伊庭がいて

__やっと…本当の自分の全てを受け入れられた気がするよ


__なぁ、近藤さん。

__ごめん、新撰組を…助けてやれねぇや

__もう…そっちに逝っても…いいか?







五月十一日。
土方歳三戦死。

五月十二日。
伊庭八郎モルヒネを飲み死去。



その数日後、長かった戊辰戦争は幕を閉じた。

fin.



★☆★☆★☆★

あとがき

夢の見すぎだってツッコミはなしの方向でお願いします。
伊庭八郎の死に際は、私の一番支持するモルヒネ説で。
二日連続で好きな人の命日てのは、切ないもんですね。

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