1/2ページ目 誕生日 文政11年1月15日(1828年2月29日) 美濃国雄総村出身。現在でいうと滋賀県ですね。あ、市村と一緒だ。 御用材木流失の責を負い父も母も自害してしまったため養子入りします。 29歳のとき、心形刀流に入門。 アレですよ、心形刀流といえば、伊庭さんの道場じゃないですか!!!!! …まぁ時期が違うので一緒に稽古とかはしてないでしょうが;;てか道場伊庭さんちじゃないし。 そのとき同じ道場にいた永倉新八と仲が良くなったそうです。 新選組に入ったのは京での最初の浪士組の募集の時。 当時の平均身長160cmちょいに対して180cmという隊一の巨漢。 でかいけど誰より優しいのが島田さんのイメージって感じしませんか? 鳥羽伏見の戦いでは、重装備の永倉さんを塀から引っ張りあげたという力持ち。 宇都宮の戦いの時には、足を負傷した土方さんを背負って撤退したそう。これはちょっとうらやましいvV(不謹慎) 土方さんのことを慕っていましたが、彼の最期のときには弁天台場にいたので残念ながらいません。 その後、降伏して謹慎を受けます。 その後結婚して5男1女をもうけました。おめでとう!よく頑張った!笑 でもどこまでも一途な彼。 新政府からの誘いを一切断り続け、西本願寺の警備をして過ごしていました。 改名して素性を明かさず過ごす人が多い中で、島田だけはそのままの名で通しました。 「かい」が「さきがけ」と読み方は変わりましたが。 西本願寺の境内で、ぜんそくにより72歳で亡くなったのですが、最期まで土方さんの戒名を持ち歩いていたそうで…。 なんとも泣かせる男ですねぇ。 島田さんによる文書が沢山残っているために、現在分かることがたくさんあります。感謝!! [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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