函館戦争で活躍した人々

甲賀源吾
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誕生日
天保10年⇒1839年

掛川藩出身。現在でいうと静岡県です。

彼は一言で言えば海の男です。

17歳のとき、江戸で蘭学を勉強します。 17歳の土方さんとはえらい違いですね/笑。

その後築地の海軍総練所へ入り、航海術を習います。
また、後に共に戦うことになる荒井郁之助と数学を学びます。

そして幕府に雇用され、1861年には軍艦総練所の教授となりました。
江戸と大坂を渡航したり測量したりもしています。

1867年には幕府海軍の伝習生取締役就任し、翌年には軍艦頭並にまでなります。

後の戊辰戦争において重要な戦力となる開陽の艦長に、次いで主力戦艦回天の艦長に任命されました。

彼は旧幕府軍と共に蝦夷へ渡航し戦いますが、その途中開陽が座礁。残るは回天のみとなってしまいます。

このとき、敵艦甲鉄に対して回天での接舷攻撃(アボルタージュ)案を提案したのは彼。
その作戦は宮古湾海戦において決行されますが、思うようにいかず失敗に終わるわけです。

このとき、回天で指揮していた甲賀さんは、こめかみに銃弾を受け亡くなりました。 因みにこの戦いで新撰組野村利三郎も亡くなっていますよね。

甲賀さんの葬式は、海軍葬で行われたということです。ほんと、海の男ですね。

享年31歳。

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