函館戦争で活躍した人々

星恂太郎
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誕生日
天保11年10月4日⇒1840年10月28日

仙台東照宮宮司の家に生まれます。仙台はもちろん宮城県ですよ。

仙台藩の台所人小島家に養子にでるものの、包丁を握るのがイヤで逃げ帰ってきてしまいます。 …理由は違えど誰かさんににてるなぁ〜笑。

帰ってきた彼は剣術に打ち込むんです。←ほら、このへんも!

かれは、一見女子のような外見だったそうですが(これも似てる/笑)、性格はかなり激しく、また変わっていたので、人々に狂人とか呼ばれちゃったり/笑。

それなのに星さんてば「もっともだ」とかいって「忠狂」と名乗ったりしてます。

成人してから、尊王攘夷思想に目覚め、ちょっと危険な道を歩みはじめます。

開国派である大槻磐渓や但木土佐を斬ろうと企てますが失敗。
結局は両人と対談したとき自分の愚かさに気づいて反省(可愛い)

その後、脱藩して江戸にて西洋の銃隊編成調練など兵学を学びます。その熱心なこと熱心なこと。
のちには教える立場のほうにまわってます。

しかし上野戦争で住居を横浜に移したら仙台藩に見つかっちゃいました。

連れ戻される星さん。可愛いね(え?)

仙台藩では脱藩の罪を許され、洋式銃隊額兵隊の司令部に就任します。

戊辰戦争では、最終的に仙台藩は降伏。
しかし星さんら額兵隊250人ほどは藩を抜け旧幕府軍と共に最期まで戦うことを決めるんです。

因みにこの直前、星さんは結婚してます。おめでとう!

函館戦争では、陸軍歩兵頭並として活躍しますが降伏。捕えられます。
このとき彼は29歳。

一年の謹慎生活の後、いろいろまわった結果1871年に彼は北海道で岩内郡堀株の製塩場経営をはじめます。

家族を北海道に呼んで生活。
余談ですが星さんは子供二人を設けています。

しかし上手くいかずに僅か2年足らずで閉鎖。

仙台に戻るものの病気になり1876年、27歳の若さでこの世を去ります。


彼の残した日記は、戊辰戦争を知るうえで、とても参考になっています。
素敵なものを残してくれてありがとう!!

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