1/1ページ目 誕生日 安政3年8月1日⇒1856年8月30日 磐城平藩出身。現在の福島県ですね。 慶応3年に入隊した、最年少隊士です。入隊当時14歳。 役職は、近藤さんと土方さんの小姓のような役割である「両長召抱人」でした。 共に函館まで行くんですが、どういうわけか後に春日さんを「養父」と言っています。つまりは養子縁組を結んだってこと。 なんで土方さんの下を離れるのさ。そんなうらやましすぎるポジションにいながら!! まぁ、それは置いておきまして。 函館では、土方さんとこに所属する、榎本総裁附きの小姓??だそうで。 戦闘には参加せずに、病人怪我人の介護をしたり、フランス語を習ったりしてました。 そして!! 彼の素晴らしいところ(?)は伊庭八郎の最期についてを語り残してくれてること!! 春日さんと同じ病室でしたからね。モルヒネ説も田村が証言してるんです。…って話がそれた。 田村は、旧幕府軍降伏後には新選組のみんなと薬王院に収容されますが、少年だったため外出許可とかされちゃってます。 子供には甘いのか?? 放免されると、今度は敵将であった黒田清隆の世話になっちゃいます。何者ですか貴方。 こんな世渡りの上手い人は初めてです。笑 それで黒田さんら側として西南戦争にも参加してるんですね。 …ちょっとまて!! てことはですよ、市村が西南戦争に西郷側で参加していたのなら、函館で共に過ごした2人はお互い敵として戦ったのかも知れないってことですよね。 市村が黒田に付いて田村が戦ってるのをみたら、どんな風に思ったでしょうね。気になるとこです。 田村は生き延び、その後大正3年、65歳にしてその生涯を閉じました。 ♪♪土方さんとの関係♪♪ 土方さんと銀は、衆道関係にあった、ってごくたまに(強調)言われますが。 それは、以下の文章のせいなんですよ。 「当時田村銀之助は歳15岩城平藩のものにして新選組に入り土方歳三に従いて大に愛を受く、実に美貌にして衆に秀づ」 彰義隊の寺沢正明氏の手記に残っているものです。 詳しいことは良く分からないし、他サイト様で詳しく載っておりますので、パスで!!笑 っていうか…イヤ!!!!笑 土方さんが男色でも構わないけど、銀之助はイヤです。 顔とか…笑。 [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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