函館戦争で活躍した人々

市村鉄之助
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誕生日
安政元年(1854年)

美濃大垣出身。現在でいうと滋賀県ですね。

1867年の隊士募集のとき、15歳にして新撰組に入隊しました。
某漫画ほど小さくは無かったと思います。笑←むしろ「小さい」って記載はないですからね。

15歳ってのは入隊基準に引っかかってるんですが土方さんが許可したとかいう話もありますね。
いろいろと忙しい時期ですしね。
年齢を17ってことにした、とかいう話も聞いたことがあります。

一番最初は平隊士として入隊しますが、その後土方さんや近藤さんの小姓のような仕事にまわります。
島田魁の英名録によれば、兄の辰之助は両長召抱えで、市村は土方歳三附属ということになっています。
うっらやっましい〜〜〜!!附属ですよ附属!!!


甲府での戦いの後、辰之助は脱走しますが鉄之助は残って土方さんとともに函館まで向かいます。

なんといっても、市村鉄之助が歴史上有名になるのはこのあとですよね!

土方さんが戦死する前に市村鉄之助を呼んで、遺品を日野に届けるよう頼まれたわけです。
中島登の記録によれば「函館称名寺ヨリ五月十一日行方不明」とあります。

土方さんは市村に話す前に、横浜へ向かう外国船の船長に頼み込んで市村を匿い乗せて行ってくれるよう頼んでいました。

それから約2ヶ月後に佐藤彦五郎宅の前に乞食姿の男が現れて、土方さんの遺品を届けたんだそうです。それが市村。

それから3年の間市村は佐藤家に匿われるんですが、その時市村自身が話したことが残っています。


さて、そんな市村ですが、興味深い話が一つ。

彼、資金の足しにするように、と土方さんから渡された刀を、売ってしまっています。
これは、島田魁に宛てられた手紙に、それを示す内容のものがあるのですが…。

言いたいコトはお分かりですか??
そうです、
一応土方さんの触れたものではないですか!!!!笑。売るなよー


☆市村出立の日の謎。

市村が土方さんのもとを離れた日については二説あります。

一つ目は4月15日説。

この説については、大東屋(市村はここで、土方さんから資金の足しにと預かった刀を売っています)から島田魁に宛てた手紙の中で、市村が4月15日に出立して大東屋に来たと書いてあったことによります。

先ほどお話した、市村が刀を…って話は、この手紙ですね!

この日と言えば、二股口での16時間の攻防戦の直後です(土方隊は二股口で13日から14日の朝にかけて新政府軍と戦っていました)。
ここでもう終わりが近いと察したということでしょうかね?悲。

ただ、市村が佐藤家にたどり着いたのは、佐藤家の記録によれば6月中旬頃(「聞き書き新選組」では7月となっていますが)なんです。
例えば4月に出た場合、隠れていたから時間がかかるのは分かりますが...少しかかりすぎなのでは?とも。

さらに、この日だった場合、土方さんが市村を五稜郭に呼び出すのは恐らく不可能です;;
としたら、市村が佐藤家で語ったエピソード(詳しくは次ページ)はいったいなんなんだろう…?


二つ目は5月5日説。この日に土方さんに呼び出されたと、こちらは市村自身が佐藤家にて話したとされています。
「聞きがき新選組」ではこちらが採用されてますよね。

中島登の記録によれば「函館称名寺ヨリ五月十一日行方不明」とありますし。

しかしこの時期海戦が激しかったため、外国船で横浜まで行くことは果たして可能か?との意見も。
※市村は、土方さんが彼を匿うよう頼んでいた外国船で横浜まで行きました。


まだまだ分からないところは沢山あるようですね。情報、何か知ってる方いらっしゃったら、是非教えて下さい。

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